2020年を迎えて思うこと

2020年01月05日

タイトルにはそう書いたけど、実際には新年を迎えたからと言って特別に思うことなんて何もない。ぼくという人間は毎年そうなのだ。初詣などを始めとした年末年始の行事などにはほとんど興味がないし、初日の出にもあまり興味を示さない。だって太陽も神社仏閣も毎日存在しているのに、年始だけありがたがるって、ちょっと変じゃないか。そう思ってしまう。

ただし、人間の行いとして時間の経過による変化とその対応については、それなりに考えなければならない。たとえばFP(ファイナンシャル・プランナー)の資格更新のための継続教育テストをまとめて4回分受験してすべて合格した。あと1回合格すれば、また2年間資格を維持できる。年が明けた時点で11月いっぱいまでに残りの1回をクリアすればいいので、残りは後回しにした。1回の受験と採点にあたり約1,000円の負担があるので、不合格になったらお金を無駄にするだけになってしまうから、やるからには時間をかけてじっくり望みたい。Web上で問題の回答と一時保存、そして採点まで行えるので、あわてる必要はないのだ。

また、今年の5月になればぼくは61歳になる。職場では昨年の6月から嘱託社員になり、肩書が外れて権限もなくなり仕事が少し減ると同時に給与も減った。サラリーマンとして終わりに近づいているわけだ。これは例えてみれば空港に近づいた飛行機が着陸前に上空を旋回し始めた状況に近いと思う。実際にあと数年で引退することになるだろうから、その後の身の振り方というか、生活の仕方などをそろそろ考えないといけない時期になってきたことになる。でも必要とされている間はできるだけ仕事をして、それが終わったり自分の気力が続かなくなったりしたら引退するだけの話なので、自分としては特に何も考えていないのが本音だ。いつも言っている「そんときゃそんとき」の精神である。(笑)

昨年は秋以降、めっきり写真撮影に対する意欲が萎えた。毎年楽しみにしている鴻巣の河川敷のコスモスちゃんが台風のため全滅してしまったのが思いのほかショックだったことと、これも毎年行っている平林寺に対しても興味が薄れたことが理由としてあげられる。観光客が増えすぎてマナーの悪さが目立ち始め、進入禁止の区域がかなり増えてしまったのが原因だ。今年からは別の紅葉スポットを発掘しなければならないと思っている。

ギターに関しては、ここ数年で「また」けっこう本数が増えてしまった。必要かどうかと言われたら絶対そこまで必要ではなく、調査というか好奇心のために仕入れたものが多いので、また少しずつ放出してもいいかなと考えたりもするが、けっこう貴重なものが多いだけに、一度放出したら二度と入手困難なものばかりなのが引っかかる。またどうせ放出したところで大した金額にもならない程度の楽器ばかりだから、そのまま残しておいて自分で楽しんでもいいじゃないかという気持ちもある。つまりはさほど高くはないが貴重な個体ばかりなのである。こういう楽器たちがほんとは一番価値があるんじゃないかと思ったりもするが、それが必ずしも価格に反映しないところがいいような悪いような感じである。個別に観ていくと、いま現在、K.Yairiの3本についてはまったく出す気はないし、YAMAHAの2本のLJ6もけっこう気に入っている。残るは百瀬恭夫さん作の林楽器時代のMountain3本だが、これらは価格は安かったけれども、ある意味ではもっとも貴重な楽器たちであり、少なくともしばらくは使ってやりたい気がしている。

You Tubeのほうは概ね週イチ程度で動画を投稿している。当分はこのくらいのペースなら続けていけそうな気がしている。

ここまで書いてふと思ったのだけど、仕事を完全にリタイヤしたら、動画を撮って編集することに専念することもできるんだよね。それも楽しいかもしれないね。(*^^*)

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