2026年3月24日 久しぶりの撮影散歩など
少し前に解体が完了した実家の分の補償金が口座に入ったので、さっそく解体費用を解体業者の口座に送金した。兄は入院しているし、姪たちからも兄のスマホを預かっているから、弟のぼくが代わりにやるしかないのだ。こういうときは兄のスマホでネットバンキングが使えるようにしておいて良かったと思う。
今は、ぼくの旧居の解体作業の真っ最中だ。重機でバリバリと壊しているのを見るのは忍びないが、ときどきチラチラと見てしまう。新居からも遠目に解体現場が見えるが、こんな状況は珍しいだろうな。短時間だけビデオ撮影をして、新居に帰ってきた。あと数日で更地になるだろう。40年住んでいた家がどんどん壊されていくのを見るのは、やはり複雑な気分だ。
久しぶりにカメラを持って散歩に出かけた。といっても電車を使うわけでもなく、歩いていける範囲を適当に歩いてきただけだが、ゆうに一万歩は超えた。川沿いの菜の花の群生や、ちらほら咲き始めた桜を撮ったり、ときどきやっている鉄塔のある風景を撮ったりしながら、普段はまったく歩くことのない道を歩いてきた。今回のお供はEOS-1DSMarkⅢとEF28-70mmF2.8Lのみ。ともに骨董品的な機材だが、ぼくには充分以上の性能だ。2時間ほど歩き、およそ150枚ほど撮ったが、ウォーミングアップのようなもので、たいしたショットはない。ただファインダーを覗いてシャッターを切るのは楽しかった。近場だが、歩いたことのない道はたくさんある。今回もそうした道をいくつか進んできたが、地元とは言え、知らない場所をいくつも見つけた。地元でも歩いてみるのはこうした発見があって楽しいものだ。
帰宅してPCに取り込んでみると、古い機材とはいえ、まったく不満のない写りだ。Canonらしいクリアで素直な発色で、とても気持ちがいい。PENTAXやPanasonic、OLYMPUSなどとも違う個性がある。重い以外は欠点がないと言ってもいい。
さらに、EOS-1DSmarkⅢはバッテリーが大きく、持ちが良い。メモリーカードも32GBでJPEGのラージサイズなら数千枚も撮れてしまうから、ぼくの撮り方だと1日や2日ならまったく大丈夫なのも強みだね。EF28-70mmF2.8Lも古いとは言え、今でも申し分のない描写をしてくれる。ぼくには最新のカメラは使えないが、逆に、このくらいの時代のカメラで充分満足だ。また近いうちにカメラを持って散歩したいね。
以前は都内の下町を中心によくカメラを持って散歩をしたものだが、コロナ騒動のときに出歩くことを極端に減らしたあたりから出不精になり、最近ではほとんど行かなくなってしまった。仕事をリタイヤし、通勤定期券が使えなくなったことも一因だ。電車賃だって、ばかにならないからね。そんなこんなでカメラ散歩の機会が減り、同時に写真撮影に対するモチベーションもだだ下がりになってしまって現在に至る。そこへ持ってきて家の移転のために忙しくなり、出かける時間も作れなくなってしまったのだから、これはもう不可抗力と言ってもいい。さらに現在は引っ越しで持ち込んだ荷物の整理がほとんど手つかずのままであり、それが済まないうちは遠出もしにくいし、友人を招くこともできない。まだまだ先は長いというわけだ。困ったもんだね。
引っ越したら新しいPCを買いたいなと考えていたが、まだ手を出していない。というのも、現在愛用中の中古のノートPCだけで充分足りているからだ。さすがレッツノートと言うべきか、古いけれどぼくの使い方ならまだまだ使える。だったら使えるうちはこのまま使ってればいいじゃないか、という気分になった。つまりはPCに関しては物欲がなくなっているのだ。これはいい傾向じゃないかな。
最近、自分が時代についていけていないという感が強くなった。カメラなど撮影機材に関しては特に そうだ。以前は大抵のものの最新情報を追いかけ、手にしないまでも知識はそれなりに持っていたけれど、今ではとても追いつかない。仕事をリタイヤして時間はむしろ増えたはずなのに、取り込める知識はむしろ減っている。この矛盾は自分でも説明がつかないが、これが現実なのだ。どうもスッキリしないが、受け止めるしかない。やはり加齢のせいだろうか。そう考えたくはないが、それが最も大きな理由のようにしか思えない。年は取りたくないもんですな。
