2026年2月7日 久しぶりのイベント参加と兄の容態の急変など

2026年02月07日

 新居への引っ越しの真っ最中ではあるが、たまには出かけたいということで、久しぶりに秋葉原に出かけた。敬愛する写真家の山岸伸さんの最新の写真集「馬力」の発売記念のサイン会とモデル撮影会がヨドバシのマルチメディアAkibaで開催されるからだ。

 東武スカイツリーラインから日比谷線に乗り継ぎ、上野に着いたあたりで兄から電話が来た。体調が悪いと言う。なんでまたこんなときにと思ったが、取り急ぎ電車内であることを告げて電話を切り、二駅先の秋葉原で予定どおり下車し、姪(兄の長女)に連絡をとった。仕事中だったため留守電に入れたが、緊急事態なので、少し時間を置いてもう一度かけたところ、姪が電話に出た。事情を話し、対応を頼んだ。姪は春日部市内に勤務しているので、ずっと近いからだ。もちろんぼくが自宅にいるなら対応してやるところだが、都内にいてはどうしようもない。急いで戻ったところで一時間かかってしまうから、その間にどうなってしまうかわからない。

姪には、自力でどうにもならないようなら救急車を呼んで来てもらうように伝えた。結果的には姪が仕事を早退して対応してくれたので助かった。もう一人の姪(兄の次女)も来てくれたそうなので、とりあえず二人に任せてイベントに参加することにした。救急車で病院につれていくことができた以上、ぼくが急いで帰っても、邪魔になるだけだ。

 数年ぶりに会った山岸さんは思いの外元気そうだった。お久しぶりですと挨拶をすると、このイベントは成功させたいんだという話をしてくれた。写真集を買い、トークショーを聞いて、写真集にサインをしてもらってから帰宅した。北千住からはすぐに南栗橋行きの急行が来たのでそれに乗った。

 地元の駅に着いて兄の家に向かうと、ちょうど姪たちに連れられて病院から帰ってきたところに出くわした。話の様子ではそのまま入院でもするのかと思ったが、薬をもらったら落ち着いたらしい。症状としては右足が痺れてほとんど動かせなくなったらしく、それも糖尿病を指摘されていたのにずっと治療せずに放置していたツケが回ったためだ。排尿のコントロールも怪しくなり、急遽おむつを使い始める羽目になった。数日前までは普通にトイレに行けていたのに、まさかここまで容態が急変するとは思わなかった。だからこそ、ぼくもイベントに行く気になったわけなのだ。

 まだ精密検査をしていないからわからないことではあるが、兄は癌の可能性がある。腎臓と膀胱に同じような影があるとCT検査でわかった。まだ細胞を採取して調べていないから断定はできないが、けっこう大きな腫瘍になっているようで、悪性だとすでにステージ4くらいではないかとまで言われたらしい。もしそうなら、残るは緩和ケアしながら死を待つしかない。なんてことだ。

 もともと、糖尿病であろうことはわかっていた。食事をしていてもやたらと水を飲みたがるし、身体がだるいと言ってほとんど動こうとしない。動かないから足腰が弱って、さらに動くのが億劫になるという悪循環だ。またここ数ヶ月はやたらと物忘れが激しくなった。認知症かと思うほどで、昼に食べたものを夜には忘れてしまうほどになっていたが、それも血糖値が高いまま放置していたために、脳の毛細血管がボロボロになってしまったのだろう。糖尿病のために腎臓や膀胱も状態が悪くなり、排尿コントロールもおぼつかなくなってしまったわけだ。全て辻褄が合う。 だったら、弟の立場でどうしてもっと強く治療を勧めなかったのかと言われるかもしれないが、ぼくも姪たちもさんざん治療しろと言い続けてきたのだ。だが頑固なところがあり、自分で納得できないことは梃子でも動かないやつなのだ。具体的には検査入院を勧められても、どうしても家に帰りたいから嫌だとごねたり、医師が二人がかりで説得しても納得しなかったりで、もはやその病院には見放されてしまった感があるほどなのだ。それに前述の腫瘍が悪性だった場合、もはやその病院では手の施しようがなく、少し離れた別の病院に紹介状を書くと言われている。つまりいろんな意味で、その病院ではもうお手上げな患者なのだ。やれやれ。

 そんなわけで、自分で撒いた種なので今さら悔やんでもしかたないが、覚悟だけはしておかねばならないと、姪たちと話をした。だが後で後悔のないように、できるだけのことはしてやろうということで、残った日々を過ごすことにするが、いかにも残念なのは、新居が完成して来週月曜日(9日)に引き渡しと説明があるからだ。せっかく新居が完成して引っ越しを始めようという時期に体調が急変するとは、間が悪いにもほどがあるだろう。ぼくだってまさに引っ越しの最中で、来る 20日には古い家の解体が始まってしまうから、急がないといけないのだ。その次は兄の家も同様に解体工事が待っている。そっちの引っ越しもしなければならない。もはや最低限のものだけを運び、残りはまるっと捨ててもらうしかないかもしれないが、新居が引き渡されれば風呂などは新しい家で入らせることができるのが不幸中の幸いかもしれない。いずれにしても兄はもう長くは生きられないかもしれない。せっかく建てた新居も、ほとんど住まずに姪たちに渡すことになりそうだ。そう考えると悔しくてたまらないが、自分の好きに生きてきた報いが回ってきたのだから仕方がないと諦めるしかない。

 兄はいろいろとやらかしてきた男で、家族や親戚、友人たちにもかなりの迷惑をかけてきた時期があった。そのつぐないをすることもできず、親戚たちは兄を無視し、ぼくにしか話をしなくなってしまった。姪たちの母親にも離婚され、別居することになり、姪たちも義理の姉の実家の苗字になったりした。おふくろが亡くなった後はずっと1人で寂しく生きてきたわけで、寂しくはあったのだろうが、誰も近寄ろうとしなかった。それだけのことをやらかしてきたからだ。ぼくだって隣りに住んではいたものの、2年半前までは仕事をしていたから、普段はほとんど会うこともなかった。ぼくが仕事をリタイヤしてから時間ができて、1 人では寂しかろうと思ってちょくちょく会いに行くようになってから、再び兄弟らしくしばしば会うようになった。その期間がわずか 2年半だけで終わってしまうのだろうか。せめて一日でも長く生きながらえて欲しいが、姪たちもさぞ気持ちは複雑だろう。


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