Martin D-18(1978)

ローティーンの頃にギターを始めて以来、ずっと Martin に憧れ続けてきました。
 社会人になってようやく手が届くようになり、他のブランドも含めていろいろと買い換えたりしてきましたが、依然として Martin が一番好きなブランドであることに変わりありません。abu にとってはやはり Martin こそが王者であり、ギター界のチャンピオンなのです。それは Martin の音がもっとも自分の好みであるというのが一番の理由であり、クリアでありながら甘い音色も兼ね備え、いつまでも飽きないのが最大の魅力だと感じています。
  Martin のギターは、どれをとってもそれぞれに良い味があると思いますが、その中で 1959年製 D-28 のように自分にぴったり合うギターが見つかったことはこの上ない喜びでした。ずいぶんと寄り道もしましたが、いろいろ取り替えて試してきたおかげで、自分にとって必要なギターはどれなのかを理解することができ、ようやく自分にとって最上のラインアップになってきたと思います。
 コレクションしているつもりはないので、最高に気に入ったギターが見つかった現在では必要最低限の本数に絞り込む段階にきています。今までは思い入れの強さなどからなかなか減らすことができず困っていましたが、ここへきてようやく、理想としていた「少数精鋭」が実現したと思います。(^^ゞ 

D-18 #400517 (1978)

  2010年 4月 29日(木・祝)、行きつけのW店よりゲット。もともとは娘に与えるために選んだ楽器でしたが、結局は自分で使うことになり、あることをきっかけに、満を持して? ここに載せることにしたものです。
 正直言えば、もともと、こういう事態になることも想定して選んだ楽器だったので、けっこう嬉しかったりします。
 この楽器の実態は、ひとことで言うとごく普通の70年代のD-18ですが、ぼくが選んだだけのことはあり(笑)、基本的には地味であっても光るものがあります。
 「S」を除くD-18で過去にもっとも気に入ったものというと、買い逃したモンスターことD-18'43と、今は親友のところにあるD-18'63がありますが、どちらもその高域の切れ味に加えて中域の厚みや広がり感が素晴らしく、これぞD-18の真髄という感がありました。
 そのD-18'63を手放したのは、特に中域の出方が一番の愛機D-28'59と良く似ていて、両方持っていてもついD-28'59ばかりを弾いてしまうため、あれほどの楽器をあまり弾かないのはもったいないと思い、望まれるままにお譲りしたのでしたが、もしD-28'59の存在が無ければ今でもメインギターとして使っていただろうと思える楽器です。
 今回のD-18'78は年式も新しくD-18'63とも少し違うタイプの楽器ではありますが、これもまた捨てがたい魅力があると思っています。
 スペック的には普通の70年代のD-18そのもので、トップがまず間違いなくシトカ・スプルース、サイド・バックとネックがマホガニー、指板とブリッジはローズウッド、ペグはグローバーのロトマチック。リペア歴は何もなく、エンドピンやピックアップの取り付けの形跡も含めて皆無です。
 購入時にはフル・オリジナルの状態でしたが、昨晩ふと思いたち、オリジナルのミカルタ製サドルを手持ちの牛骨で作り換えたところ、それだけで全体的に鳴りがグレードアップし、音のメリハリがさらにくっきりして、特に高域の切れ込みときらびやかさがはるかに向上しました。それは前述のD-18'63とも共通するかと思えるほど素晴らしいものになっており、それをきっかけに、ここに載せてもいいかなと思ったほどでした。ほんとだよ。
 ナットはオリジナルのミカルタと自分で作った牛骨のとを併用するようになりました。それぞれのサドルの底面とブリッジの溝の底面の平滑度を高めるようにがんばって調整したところ、それぞれの材の差が良い感じに出るようになったので、今後は気分によって使いわけようと考えています。
 ピックガードの縁全体、特に上部と下部がややめくれ始めていますが、そのまま落ち着いているようで、Martinクラックを始め、どこにもクラックは見当たりません。むしろ接着剤があまり頑張らなかったおかげで、クラックにまで至らなかったものと考えられます。
 弾き傷は多少大きなものもありますが、それ以外に大きなダメージはありません。ネックの状態も特に問題なく、傷のつきやすい裏側まで綺麗な状態ですし、仕込み角は70年代のものらしく浅いものの、低い方から高い方までまんべんなく音が出ます。
 つまり、ダメージらしいダメージもなく、無事に素直に育ってきた楽器と言えるでしょう。
 トップのシトカスプルースには何箇所かベアクローがあり、木目は多少乱れている箇所もありますが、基本的には良く目の詰まった上質なものです。マホガニー部分もすべて見事なもので、普通のD-18といえども、さすがクオーターソーンの時代だと納得の材です。
 このギターを選んだ決め手は、弾いた音もさることながら、叩いた時の音でした。前述の2本と共通したものを感じ、「おっ?」と思ったのです。勘違いが怖いので、他の似たようなD-18も何本か試させてもらいましたが、他の楽器にはその共通点は感じられなかったため、これは拾い物と思い、その場でHOLDしたのが良かったのでした。
 気になる音のほうですが、基本的にMartinらしい柔らかさ、耳当たりの良さはそのままに、スタイル18らしい高域の切れ込みときらびやかさを持ち、中域の厚みや低域の量感も充分で、バランスにも優れています。レンジの広さはこの時代のD-18としては普通か、あるいはやや広いほうでしょう。
 特筆すべきは全体にとても素直に音が出てくることで、朗々と鳴ります。この時代のD-18は比較的軽い感じで鳴る個体が多いですが、この個体はけっこう深々とした低音が出てくるのです。これは鳴るようになったノンスキャロップの個体ならではのもので、重厚さも充分です。
 とはいえパッと見の派手さは無いので、ちょっと弾いただけでは特別な長所は見当たらないかも知れませんが、逆に欠点らしい欠点も見当たらないというタイプで、デッドポイントがあまり見当たらず、ハイポジションでも音が詰まることがなく、綺麗に伸びてくれるので、しばらく弾いているとだんだん気に入って手放せなくなるという、我が家のギターに共通する美点? を、この個体もちゃんと持っています。
 D-18S'71とキャラがダブらないかという恐れもありましたが、いざ弾き比べてみると、同じドレッドノートとはいえ、やはり14フレットジョイントと12フレットジョイントは別の楽器であり、その心配は無用でした。
 もちろん共通点もたくさんありますが、それぞれまったく別の個性があるので住み分けに問題はありません。
このへんの「音分け」については、本当にMartinは見事の一語に尽きます。
 もう一つ言うと、この個体はほぼ間違いなくシトカスプルースだと思いますが、「S」のほうはシトカではなくジャーマンではないかとも推測できるので、その意味でも鳴りの個性が違うため、使い分けがより楽しいとも言えます。
 71年製の「S」のシリアルと78年製のこの個体のシリアルとでは110,000以上も離れているので、7年でそれだけ量産されたことになります。世界的にアコースティックギターの生産量が多かった時代とは言え、それでも今ほどの量産ではなかったことが、この楽器がいい感じに育つことができた要因の一つかも知れません。
 カスタムショップ製でもなければリミテッド・エディションでもなく(そもそも、この時代はまだそんなものは無かった)、ブレースも当時の標準の仕様だったノン・スキャロップで、フォワードシフテッドでもなく、特段変わったところは一つもありません。それでも使われる環境によってはこういうふうに素直に育つというのが、なんかいいな、それがとてもいいなと思っています。
 多少の小傷や大きな弾き傷はいくつかあるけれど、塗装が剥がれるほどのものは無いし、派手にぶつけたとかどこか直したとかいうダメージがまったく無いのは嬉しいと思います。ピックアップを取り付けた形跡すら無く、言わば大怪我や大病をしないで、心身共に素直に健康に育った健全な人という感じで、それだけでも好感が持てます。
 現状でもあのD-18'63に近い高音が出るならば、このギターの指板とブリッジをエボニーに換えたら、ひょっとしてもう少しあのモンスターD-18'43にも似てくるのかなと考えたりしたくなりますが、そこまでする気もないし、今のままのこのギターでも充分に魅力的です。
 店頭で試奏したとき、サドルとナットが両方オリジナルのミカルタのときでも最初は牛骨かと思ったことがありましたが、基本的にそういう鳴りの個体だったわけです。つまり、もともとメリハリのある明快なキャラクターを持っていたと言えますが、牛骨のサドルも新調したことで、さらに音の粒立ちが増し、レンジも広がり、スピード感のようなものも加わりました。これは70年代のD-18でも珍しいものだと思っていますので、けっこう貴重な存在ではないかと考えています。
 一方ミカルタのサドルだと、牛骨よりも高域のキレは落ちますが、代わりに中域の厚みがわずかに増すので、これはこれでまとまりがあり、こちらのほうが好きだという人も多いのではないかと思います。ボディが充分に鳴っているので、必要な音を出そうと無理に力を入れる必要がないため、とても楽に弾くことができます。これは我が家のギターたちに共通した点ですが、そのおかげで純粋に音楽を楽しむことができるのが何よりも嬉しいことです。
 Martinは自分に合っているらしく、何も考えずにただ普通に弾くだけで自分の好きな音を出すことができます。
 これが何よりもMartinを愛している理由の一つでもありますが、このギターもその例に漏れず、手に取った瞬間から音楽に没頭することができるのです。ぼくにとって、その条件を満たす楽器はMartinだけかも知れません。
 他のブランドの楽器でもそれに近いものはありますが、ネックを握ったその瞬間から、演奏する曲のことだけを純粋に考えられる楽器はめったにありません。ぼくにとってはそれがMartinであるということ、これが初めてMartinを入手した二十代の頃から現在に至るまで、ずっと変わっていない事実です。
 一時はたった2本にまで減らしたMartinですが、また3本に増えてしまいました。
しかも、そのうち2本までがスタイル18。スタイル28はD-28'59以外に持てなくなっちゃったのかなと考えることもありますが、年代を問わず、よっぽどいいものが出てくればその時はその時。出てこなければ、それでも良し。充分ですから。今はD-28'59と気に入った2本のスタイル18をじっくり楽しみたいと考えています。

(2011.12.24加筆)

 念のため書いておきますが、サドルをミカルタから牛骨に換えて良くなったと思ったのはぼくの好みにマッチしたからであり、ミカルタのままのほうが好きな人もいるわけで、何でもかんでも牛骨のほうがいいと勘違いしないでくださいね。鵜呑みにされると困るので。(^_^;)
(2011.12.31加筆)
 サドルを牛骨に変えてしばらく使っていたら、馴染んだのか、さらにカリンカリンになってきました。かといって高音ばかりが目立つハイ上がりの耳にきつい音にはならず、中低音も負けていないのが、さすがにMartinだと思います。
 ぼくが言う「カリンカリン」という類のギターは、超ハイレグ水着のごとく上のほうが切れ上がり、スタイル18ならではのきらびやかな高音が十二分に発揮できる状態の個体を指しています。今までは30年代後半くらいから50年代、せいぜい60年代初期くらいまでのスタイル18の中にときどき見られる程度で、それ以降の年代には一本も出くわしたことがありませんでした。真面目な話、70年代のMartinでは今回の個体が初めてです。
 理由をいろいろ考えましたが、まず60年代半ば以降のスタイル18は指板とブリッジがローズウッドに変更されており、それがいかに良材とはいってもそれまでの指板とブリッジに使われていたハカランダより柔らかいし、ましてや45年くらいまでのものの指板とブリッジに使われていたエボニーとは硬さが違いすぎることがその一因と思うものの、以前に使っていたD-21JCなどは指板とブリッジがエボニーであるにもかかわらずちゃんとスタイル21の音色になっていました。このあたりがMartinの音分けの見事さであり、材の違いは必ずしも決定的な要因ではないことが解りますが、そうはいってもやはり材の硬度の違いは影響が大きいのも間違いなく、理由の一つであることは疑いないと思われます。
 あとブレースの設計が年代によってすこしずつ違っているし、また年代が同じであってもすこしずつ個体差があります。具体的にはXブレースのクロスの位置にしても1cmくらい違うのはザラにあるので、それらの組み合わせでもかなりの違いが出てくるだろうことは明白です。
 したがって、今回の個体は次のような要因によってカリンカリンの部類になっているのではないかと思います。
 ①使われている材が全体的に比較的硬めのものであること。
 ②ブレースの配置が絶妙だったこと。
 ③牛骨で作りなおしたサドルの形状がブリッジの溝とうまく密着したこと。
 何にしても、一番の理由は、ぼくの好みにぴったりなスタイル18だったということ、それに尽きると思います。
(最終更新日 2011.12.31)


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